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バルジ大作戦・前 景

 1944年 アルデンヌ地方、季節は冬を迎えています。

 連合軍の進撃速度は夏と比べれば明らかに落ちていました。ドイツ軍が死に物狂いの抵抗をしているからだ、との噂に震えている若い兵士を古参兵が嗤います。「違う。俺たちの晩飯やタバコがずっと後ろのトラックに積まれているから、俺たちは前に進めないだけさ」

 圧倒的な物量に支えられた連合軍でさえ、自軍の進撃速度に兵站が追い付かない事態が至る所で発生し、停滞をよぎなくされている状況です。連合軍にとって“今年の冬が終わる”とは長く続いた戦争が終わる事を意味します。春到来の喜びは兵士にとって少々の兵站の滞りは悪態を吐く程度で我慢できる状況でした。

 ドイツ軍はどうでしょう。彼らにとって今までも過酷な季節ではありましたが、この冬はさらに過酷な季節の始まりにしか過ぎません。ドイツ北方の国境にソビエト連邦が津波のように押し寄せ、南からは英米仏の諸連合国がヨーロッパの大地の色を塗り替えるような勢いで北上してくるのです。国民にとって戦争は悲劇です。加えて敗戦国ともなれば全てが塗炭の苦しみに苛まれる、そんな季節の始まりがもうそこまで来ているのです。

 作戦準備は静かに、徹底して静かに行われました。ドイツ軍の尽きかけた物資・資材からさらに削り取るようにアルデンヌの森に物資が集積されて行きます。密やかに胎動している装甲車両のタンクを満たしたそのガソリンは、もし他の戦域に回されたならば、破壊されなくても良かった戦車のガソリンでした。兵士に渡された弾帯は、もし他戦域の兵士に回されたならば、死ななくても良かった兵士のものでした。アルデンヌの森に集められた兵たちにはしっかりと戦ってもらう為に食料も優先的に回されたはずです。配給された一かけらのパンは誰の口に入るはずだったものでしょうか。

 その全てはドイツ国民の血と肉と大地から吸い上げられたものでした。

 1944年 12月16日 夜明け前。アントワープ占領を目標にドイツ軍は進撃を開始しました。

 ヒットラーにとって「バルジ大作戦」は起死回生のギャンブルだったのでしょう。

 

ではドイツ国民にとってこの作戦は意味のあるものだったのでしょうか……?

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