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『ゴールデン・ノース・ホテルのブライド』

 ホワイトヘッド一家と三○四号室

「ちょっと! アレはなんなの!?」
 朝露も乾かないうちに、一人の女性客がロビーに怒鳴り込んできた。クレームをつけられるのは初めてではないが、あまりの剣幕にたじろいでしまった。
「ど、どうされたんですの?」
 客への対応は給仕のウィドーのほうが上手なのだけれど、彼がロビーに入るのは六時半からだ。カウンターの置き時計をちらと見ると、今六時を回ったところだった。どうにかして私が彼女をなだめなければ……。

「どうもこうも無いじゃない! 昨日の夜、一晩中すごい音がしてたのよ!彼と二人、休むどころじゃなかったんだから!」

 この女性は婚約者の男性と二人で旅行に来ていたはずだ。途中で彼の実家に寄ってご両親に会いに行く、と話していた。
 帳簿を確かめると、サム・デリンジャーという男性客の名前が記載されている。彼女の名前は確か、エリザと聞いたかな。
 恋人との夜を台無しにするとは、同じ女性として許しがたい。
「きっとメアリーからの、めっせーじ、よ」
 いつの間に起きていたのか、四歳の末娘が私の横に立っていた。まだ寝間着のままだし、お気に入りのテディベアを抱えて目をこすっている。
「なに? メアリー? 一体誰なの?」
「メアリーはメアリーよ。花嫁さんなの、白くてきれいな花束を持ってるのよ。幸せそうなあなたたちが羨ましかったのかも。そうじゃなければ、何か伝えようとしたのね」
 舌足らずなしゃべり方で娘が女性客――エリザに言った。
「こらキャシー。お客様にデタラメ言わないで。――すみません、この子ったら……。きっと寝ぼけてるのね」
 私は慌てて娘を抱き上げた。
「やだ、ママ。わたしわたし寝ぼけてなんかないわ。だって、ママも知ってるでしょ? 三○四号室の”彼女”のこと……」
「誠に申し訳ありませんでした。お部屋すぐお取り替えしますね。――お出かけの歳、鍵をお預けください。お荷物はお運びしますわ」
 娘の話を無視してエリザに頭を下げた。
「まったく仕方ないわね。もうこんなことこりごりよ」
 彼女が部屋に戻っていったのを見届けてから、娘を床に下ろしてやる。
「いいことキャサリン、お客様の前であんまり妙なことを言わないでちょうだい」
「だってママ、メアリーはわたしたちがここに来る前からいたのよ。どうしてあの部屋までホテルの部屋にしちゃったの。ひどいわ」
「仕方ないでしょ? このお屋敷で一番眺めの良いお部屋なんだから。そりゃ、空いてたら使うわよ」
「違うわ、メアリーがいたもの!」
 柔らかそうに膨らんだ頬をもっと膨らませて娘は怒ったが、他にどうしろと言うのだろう。三○四号室は、明らかに空き部屋だったし、窓からの眺めはお屋敷一番だったのだ。

 メアリー・アン・ブライド

 我が家で、彼女はメアリー・アン・ブライドと呼ばれていた。以前彼女がなんという名前だったのか、私たちは知らない。ただ、三○四号室の机の引き出しに『愛しのメアリーへ』と宛名の入った手紙を見つけたのだ。
「ウィドーが居てくれてとっても助かるわ。何より焦らなくて良いし、子供達の朝食だってゆっくり作れる。それもこれも、彼がロビーに立ってくれるおかげね」
 ウィドーにロビーを任せて、私たちは少し遅めの朝食につく。子供達はさっさと朝食を済ませて学校に行ってしまった。残っているのは末娘のキャサリンだけだ。

 「今朝ね、また三○四号室のお客さんから苦情がきたの」
 夫はテーブルの向かいで、ノートパソコンを開きニュースサイトを見ている。
「ふむ、なにか問題があったのかい?」
「私たちに落ち度は無かったと思うわ。ただ、三○四号室は彼女がいる部屋だし……」
「おいおい、君までキャサリンのようなことを言い出すのかい? 止してくれよ子供じゃあるまいし」
「でもあなた、コレで七回目よ。そろそろ何か対策をしたほうが良いんじゃ無いかしら」
 ノートパソコンをたたむと、うーん、と困ったように唸って頬杖をついた。
「だけど、他の部屋はどうも無いんだろう?」
「ええ、三○四号室だけなの。――やっぱりキャサリンの言うとおり、あの部屋に何かあるとしか思えない」
 メアリーはキャサリンが言うように、私たちがこの建物を買い取る以前から、あの部屋に居た。どうして彼女があの部屋に居着いているのか、理由は分からないけれど、何か事情があるのに違いない。ここを離れられない理由が。
 メアリー・アン・ブライド、とは子供達がつけた名前だ。ウェディングドレスのような白い衣装を着ている彼女を、花嫁という意味のブライドと呼んでいた時期もある。けれど、そんなおめでたい衣装を着たまま彷徨っているだなんて、きっと悲惨な理由があるはずだ。言ってしまえば、メアリー・アン・ブライドという名前は”嫁げなかったメアリーお嬢さん”という意味なのかも知れない。
「わかった。知り合いに相談してみよう。もしかしたら霊媒師か何かを紹介してくれるかも。それで君も納得してくれるか?」
「ありがとう。じゃあ、そちらのほうは任せたわね。私はあの部屋に予約が入らないようにするわ」
 私は朝食を済ませると、ウィドーに任せっきりだったロビーへ戻った。

 最上階のメアリー

 一家の中で、メアリーの存在をハッキリと認識しているのは、キャサリンだけだった。上の子供たちも、見たことはある、と口々に言う。夫はそんなことは信じないけれど、私は完全に否定することは出来ない。実は、私もメアリーを見たことがあるからだ。
 あれは確か、このお屋敷に移り住んですぐのことだった。その頃から、キャサリンは彼女の存在に気づいていたようだけれど、私も夫も相手にはしていなかった。
 まだ外は寒くて、買い出しに出た私は寒さに凍えながら、屋敷への道を急いでいた。
 湖に沿って歩きながら、ふと屋敷を振り仰いだ。三階の窓辺に、白い人影が立って湖を見下ろしている。それに気がついたとき、夫か子供たちの誰かが立っているのだと思った。建物に入り、夫も子供達もロビーの暖炉の前で談笑しているのを見て、私は初めて、おかしいな、と首をかしげた。
「今、誰か三階に行かなかった?」
「三階? 誰も三階には行っていないよ。ここ一時間ぐらいかな? みんな居たよな?」
 夫が不思議そうに私を見つめた。キャサリンだけが、やっぱり、と言うように笑っていたけれど。どこか薄ら寒さを感じて、最上階の部屋へ確認に言ったが、案の定誰も居なかったし、誰かがいた形跡も無かった。
「私の見間違いかしら……」
 後で思い返してみれば、私が見た窓辺の人影は、子供達の言うメアリーの面影と似通っていた。白いドレスを身に纏ったメアリー・アン・ブライド、その人だったのでは無いかと、私は思う。

 ピンポンマムの花言葉

 元々、この建物は名のある一家のお屋敷だったらしい。それを買い取って改装したのが、このゴールデン・ノース・ホテルだ。建物自体は二十世紀初頭に作られたもので、内装もそれに合わせてアンティーク調のものを取りそろえた。
 派手な観光地では無いけれど、広大な湖とそれを囲む山々からなる自然豊かな風土が売りで客の入りは上々だ。特にこのホテルは湖畔に面していて、最上階の三階から見る眺めはとても素敵だ。
 朝クレームを入れた客の荷物を運び出すため、三○四号室に入る。湖に面した大きな窓からは、見慣れた私でもはっとするような眺望が広がる。
「こんなに綺麗なのに……。まったく、厄介な花嫁さんね」
 もったいないな、とため息をつく。
 部屋も広く景色も抜群で、当ホテル自慢のスイートルームだ。だが部屋自体に問題があるのなら仕方ない。
 お客様が荷物をまとめてくれていて、私の仕事は二人分の旅行鞄を、三階の別の部屋まで運ぶだけでよかった。

 その後、食事の仕込みや、客室の清掃をして、一旦家族の住居スペースへ戻る。厨房の横を抜けるとすぐ、リビングと裏玄関がある。
 今度は自宅の家事を片付けるか、と洗濯籠を抱え上げる。
 その時何故か、裏玄関の隣にある小窓に視線が向いた。何かが気になる。
 近づいてみると、窓枠に枯れた花が一輪置かれていた。色褪せているが、白くて可愛いボールのような花だったことが分かる。
「誰がこんな物を…」
 茎をつまみ上げて首をかしげていると、窓の外を何かが横切った。視線を上げると、娘のキャサリンが外を走っている。
 微笑ましく思って居ると、大人の男性が一人追いかけてきて、彼女の腕をつかんだ。
「ちょっと! なにしてるんですか!? 娘から手を放しなさい!!」
 慌てて玄関を出て大声を上げると、男は潔白を示そうと両手を挙げた。
「ええとコレは違うんですよ、奥さん。僕はただ……。僕が電話しているのを聞いてこの子が誤解を――」
 人の良さそうな男が、困ったように笑って事情を説明する。駆け寄った私は娘をひったくるように抱き上げると、四歩ほど距離を取った。
「違うの! ママ、この人悪い人よ! あの女の人を騙そうとしてる! 本当なの、メアリーが教えてくれたの! 電話で仲間と、けいかくについて話してたのよ!」
 娘は、本当だもん、と腕の中で泣き始める。
 この男性はたしか、三〇四号室のお客様だったかしら。参ったな、と眉を下げた表情は、本当に誤解を受けて困っているように見える。
「娘さんは、僕が両親と電話で話していたのを聞いて、誤解したんですよ。きっと、何かを聞き間違えたんだ。――まさか、年端もいかない子供の話を真に受けたりしませんよね?」
 私は距離を取ったまま、男性を凝視した。しっかりした服装だし、予約確認の時に身分証も提示してもらった。子供の言うことと大人の証言。普通は大人の証言を信じるところだが、どこか納得がいかない。
「……ええ。そう、ですね。一般的には貴方の話を信じるところなんでしょう。でも私は、あなたが必死の形相で娘を追いかけていたのを、見てしまった。――事務所へどうぞ。主人と警察を呼びます。お客様に対して失礼かとは思いますが、私の勘違いでしたら、ホテル代は結構ですから」
 そうですか、と冷たく答えて、男の顔から表情が消えた。ちっ、と舌打ちをすると、キャサリンを抱えた私に掴みかかってくる。
 その瞬間、ガラスが割れる音と共に、頭上から何かが落ちて来る気配を感じ、私は娘に覆いかぶさった。
 静かになってから、恐る恐る顔を上げると、男は腰を抜かして座り込んでいた。そのスーツの裾は、巨大なガラス片が突き刺さり、地面に縫い付けられていた。

 ホワイトヘッド一家のメアリー

「ねぇ母さん、表にパトカーが停まってたけど、アレどうしたの?」
 放課後、上の娘――ジャクリーンが学校から帰ってきた。
「もしかして、人死んだ?」
 冗談めかして言うので、こちらも少し笑ってしまった。
「ジャッキー? 不謹慎なこと言わないで。でも事件が起きたことは確かね。今回はメアリーとキャシーのお手柄だったの」
 ソファーに座って、お気に入りのテレビ番組を見ていたキャサリンが、そうよ、とにっこり笑った。
 あの後、警察を呼んで問い合わせてもらったところ、男が立ち上げた会社というのが架空の物だったことがわかった。彼の両親だって、教えてもらった住所にそんな夫婦は住んでいないらしい。サム、という名前も偽名であった。
 結婚詐欺に遭った女性客――エリザは、警察に連れて行かれる彼の頬に、強烈な平手打ちを食らわせていた。
「ふぅん。でもなんでそれがキャシーのお手柄?」
「うん。彼が電話で計画の話をしているのを、偶然聞いてしまったの。キャサリンが言うには、メアリーが教えてくれたんですって。そういうわけだから、今夜はキャサリンが好きなオムライスなの」
 具材を刻んでいると、ホテルの方から給仕のウィドーが顔を覗かせた。
「三〇四号室の割れたガラス窓の修理、明日予約取れましたよ」
「あら、ありがとう。晩の下準備が出来たら私もホテルの方に戻りますね」
「メアリーはきっと、最初からあの男の人が悪い人だって、しってたのよ」
 キャサリンの言葉に、ジャクリーンは、そうかもね、と気のない返事をして自室へ消えていった。
 ふと気になって、夕食を作る手を止める。
「ねぇ、キャサリン。メアリーは花束を持ってるって言ってたわよね?」
「うん、持ってるわ。花嫁さんが持っているような、白いお花がたくさんあって、綺麗なのよ」
「そのブーケの中に、丸いふわふわのお花は入っているかしら? 菊のような花びらの」
 キャサリンが、キッチンを振り返ってじっと私の目を見た。
「ママも、メアリーを見たの?」
「いいえ。見てない、と思う。でも多分、あの花は……」
 あの花は、花嫁のブーケによく使われるピンポンマムという花だった。きっとあの花は彼女がブーケから抜いて窓際に置いて行ったのだ。
「メアリーはきっと、まだ待っているのね」

     

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